Candlin'

褒めるほうがクリエイティブ

April 01, 2019

Twitterを見ている限りでは、平成が昨日までと思い込んでいたおっちょこちょいは僕だけではなかったようだった。

令和

官房長官が掲げた額の中には「令和(れいわ)」の2文字が収まっていた。

最初に見た僕の印象といえば…

  1. 縦書きしたときにバランスが悪そう(上が小さく見える)
  2. 昭和と和がかぶってるやん(フレッシュさの欠如)

だった。

平成に強い思い入れも特にないが、字面のバランスは平成の方がよいように感じる。 ただ冷静に考えてこれは慣れの問題だろう。

令和の褒めポイント

悪い部分だけサクッと思いつくのが僕の性格を物語っているけども、これは性格と言うよりも、技術として 「褒める」よりも「けなす」ことの方が簡単だから だ思っている。低きに流れる部分が、性格をさらに物語るものである。

「前の方がよかったよな、なんか」

これである。これを繰り出すと、もうそこで思考停止。

一番簡単なけなし方の決定版「前の方がよかった」

繰り返すが、慣れの問題もあるし、新しいものを手放しで受け入れないのは本能や脊髄の反射に近い感情だ。

そこから目を背けず、むしろグッと隅々まで見るかどうかでクリエイティブは変わる。

どうせ数十年は見るのだ、今じっと見ようが見まいが大差はない。ならば見よう。何回か口に出したりしよう。

褒めポイント、今度こそマジで

令(レイ)という音の響きは綺麗だ。

Rayを想起させる。僕にとって光の線は、 新しいもの、かっこいいもの、素敵なもの を連想させる。

音で言うならば和(WA)も悪くない。仲間の輪(わ)や循環を連想させるまさに “閉じていない” 音の響き。

無数に飛び交う光の線が、輪になったり和を成したりするなんて、カッコいいじゃないか。

Layでまったりするのももちろん好きだ。そう考えればキャンプ感すら感じる懐の深い元号である気がしてくる。気のせいかもしれない。

来月から令和元年

クリエイティブでありたいなぁと泣きながらいつも思っている。(泣きながらの部分はもちろん嘘だけど4月1日だから許してほしい)

クリエイティブであるよりもクリエイティブでない方が簡単なのだ。言うまでのないことだけど、言うことに意味がでたりもするよな。

簡単なのは好きなだけに、(気持ちは)泣きながら、クリエイティブたろうと思う。

日々の小さな決断の積み重ねで、己のクリエイティビティーは決まる。

“褒める”か“けなす”かの2択ではない。褒めるのだ。迷いなく褒める一択のハズなのだ。

誤字脱字を発見された方はプルリクいただけますと幸いです。
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シンタロヲフレッシュ

Written by シンタロヲフレッシュ (ライフスタイルブロガー)Camp and UDON is everything. Twitterをフォロー